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にわかが道をやってくる

競馬のこととか、競馬以外のこととか。



いつか読もうと思って積んである本を、いつまでも読まないまま人生を終えるのはとても嫌だ

今週のお題「わたしの本棚」

 

前回の100万円の記事が少しばかりご好評いただいたみたいなので、よし今回もお題とやらに乗ってみてやろうかと取り掛かったところ、己の生き方を顧みせられる羽目になるとは。

 

元来自分は読書家の部類だった。ロングの黒髪でメガネで巨乳で断じて剛力彩芽のわけがない古書店の店主さんあたりと比べてしまうとカスみたいな読書量ではあるが、かつては生活のリズムの中に「本屋で気になった本を買う」「空いてる時間にそれを読む」という行動がごく自然なものとして組み込まれていた程度には読書家だった。

 

好きだったのは専ら小説。
小学生の頃はズッコケ三人組などの児童文学。高学年のときは吉川英治三国志をボロボロになるまで何度も読んだ。
中学に上がってからは富士見ファンタジア文庫。後に作品がアニメ化されラノベという言葉が広まる頃には、意味もなく斜に構えたがる悪癖が発動し、愛読していた神坂一秋田禎信を腐していた時期もあったなあ。
高校では御多分に洩れず太宰にハマり。
潰しが利かないという親の忠告も顧みず文学部に進学してからは、芥川、谷崎にとりわけ傾倒した。
現代の文壇にも面白いのが幾らでもあると気づいたのは卒業後。町田康に衝撃を受け、角田光代に感銘を受け、奥田英朗にウケまくった。
人生のある時までは、常に傍らに本を携え、時間を見つけては書の世界に触れてきた。

 

さて「わたしの本棚」とのことだが、まあ今やたっぷり降り積もっている、ホコリが。
いつからだろう。本を読むのにもエネルギーの消費を感じるようになって、読んでしまえば面白いとわかっていても面倒くささが勝ってしまいがちになったのは。徐々に読書量は減っていき、一番最近読んだ本は何だったか、読んだのはいつだったか思い出せなくなっていたり。
たまに読書でもしないとなと思い立って小説の一冊でも買ってみたところで、読むのが億劫になってしまい置いといたまま月日が経ち、また思い立っては新しい本を購入し、そのまま積まれていく。それらをたまに目にしては、まあいつか読むだろうと自分に言い聞かせ、目を背け、スマホかなんかをダラダラいじる。俗に積ん読という、よくある現象らしい。
本棚一つとっても、何でも先送りにし、楽な方楽な方へと水が低い方へ流れるように生きてきた自分を象徴してるかのようで、実に情けないではないか。

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ゴミやらゴミじゃないものやらが散乱している本棚周辺から発掘した積ん読のごく一部。どれも読んでいなかったり、途中で止まっていたりの作品。

一部積みゲーが混ざっているのはさておいて、我ながら実にどうかと思う光景だ。「東京タワー」など定価で買うのは癪に触ると思ってたところ古本屋に置いてあるのを見つけ、購入したのがブームの真っ只中。あれから余裕で10年以上は経っている。未だに1ページも読んでいない。

三国志を正史で語る奴に憧れて蜀書から買い始めたものの、諸葛亮伝に辿り着く前に積まれてしまったのはいつだっただろうか。

ごく最近の感のある又吉直樹羽田圭介芥川賞受賞作掲載の文藝春秋ですら、放置したまま1年以上が経っている。

 

本格的に探せばまだまだ出てくる筈だ。パッと思い出せるだけでも「新世界より」は上中下まとめて買った筈なのに上巻しか見当たらないし、知人の薦めで購入した伊坂幸太郎の作品でまだ読んでないものもあったと思う。

まあ、本の山というほどではないが、改めてこの「いつか読む」はずの本の数々を目の前にすると途方にくれる。このまま人生を何となく過ごしたとすると、これらの本を読むことは無いまま人生は閉じていき、そのとき自分は何一つ成し遂げていないのではないか。
大ゲサかもしれないが、大マジでそう思う。

 

一方で、これは良いチャンスを得たんじゃないかという気もしている。
こんなお題で文章を書くこととなり、こうして目の前に本を引っ張り出してきたのは、再び書物に触れなさいという天啓なのではないか。
そう思うと、目の前の積ん読が宝の山に見えてくる。どれもかつての自分が興味を惹かれて買った書物。面白いに決まっている。
折角ブログなんて始めたんだから、読了したら書評でも書いてみたらどうだ。子供の読書感想文レベルでも構わないじゃないか。
明日から通勤の鞄の中にどれか一冊入れていこう。こちとら読書の時間もとれないほど多忙な日々を送っているほど社会で活躍はしていない。

 

不安がよぎる。昔と同じように読書が楽しめるだろうか?
目の前の本が瞬時に打ち消してくれる。心配はいらない。自分は変わったかもしれないが、本は何も変わってはいない。

 

本はいつでも同じように、僕が手に取りページを繰るのを待ってくれている筈だ。