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にわかが道をやってくる

競馬のこととか、競馬以外のこととか。



我が人生からやよい軒が消えてなくなった日

尾籠な話になってしまうので、食事中の方、それこそ自分がもう二度と行くことのないやよい軒で食事をされている方などは読まない方が良いかもしれません。


昨日の昼下がり。休憩時間に職場からほど近くのやよい軒に来訪。
今日はこの店に行きたい、あれを食べたいという方向性が特に定まらないときには、じゃあやよい軒でいいかとなることが多く、決して積極的にチョイスされるわけではないが結果として、お気に入りのお店のように足繁くここに通っていた。

ランチピークは過ぎていたがお客はそれなりに入っており、自分が通されたのは店の奥のカウンター席。まあ、他の席の埋まり具合を見たらここに通すのは当然だろうなという席だったが、ちょっと嫌だな、と思った。
そこはお手洗いのすぐ側の席だったのだ。

あっちの空いてる席に替えてくださいと申し出ようかとも思ったが、そこは毎日やよい軒で5杯おかわりしてます的な体型の中年男性と、年齢の話題が出ただけでセクハラだとヒステリカルに喚きそうなタイプに見える三十路ぐらいの女性との間の席。
わざわざ暑苦しい巨漢の隣で食事したいという嗜好は持ち合わせていないし、何より女性客に「何わざわざアタシの隣に移動してきてんのよ、キモ」みたいな目で見られたり、舌打ちの一つでもされようものなら居たたまれない。
仕方がないのでアイハヴランチバイW.Cと相成ることに。

今日はガッツリいこうと注文したカルビ焼肉定食をあらかた片付け、〆の生卵かけご飯に取り掛かろうとしたタイミングで、腹の出た高年男性がトイレに入った。

そしてほどなく。
不快な音が食事中のこちらにハッキリ聞こえてきた。

神経質過ぎるきらいがあるのだろうが、自分は日頃から用便するときの音を聞くのも聞かれるのも極端に嫌いだ、というかムリ。気持ちが悪くて仕方がない。
職場や公共のトイレで音消しをせずに用を足している人間がいようものなら、個室の上の隙間から水をたっぷり含ませたトイレットペーパー爆弾を投下してやりたい衝動に襲われることしばしばである。
音消しに水を流すことの方が無駄遣いでよほど罪深い行為であるという見方もあるだろうが、そんな言い分は、えずいてしまうほどに気分が悪くなり、不快な思いをしている人間の気持ちを考えていないエセ正論としか言いようがない。

卵かけ御飯をかき込む手は止まり、自分はこみあげてくる吐き気と怒りへの対処に苦慮した。
ドア一枚を隔てた向こうに食事中の人間がいるという配慮もへったくれもなく、勿論音消しなどすることもなく排泄音を響き渡らせることのできる人間には刑罰が適用されて然るべきではないだろうか。
文字通りのクソッタレジジイへの憤激を胸に抱きながら、食事途中で席を立つ。何故一息ついて疲れを癒すはずの休憩時間にこんな目に遭わなければならないのか。

ほうほうの体で店を後にし、いまだ収まらぬ吐き気とともに、今度は店舗の設計に対して腹立たしい気持ちがこみあげてきた。
食事をする場所のすぐ側、扉一枚壁一枚隔てた向こうに便所を設置することのできてしまう企業は、果たして顧客のことを親身に考えているのか、ただの金を運んでくる動物と見ているのか。そんな風なことを考えてしまっても、飛躍のしすぎとは言い切れまい。

もちろん店舗や企業に改善を求めるつもりは一切ない。店の設計だってスペースも予算も限られていることは百も承知。
この出来事で悪かったのは、席に案内された時点で、嫌な思いをするリスクに気づいていながらも回避しなかった自分自身だということも百も承知。

ただ、嫌な思い出が刻みつけられたお店には二度と行かない。自分は今後の人生においてこのチェーン店で食事することは二度とないだろう。
自分の人生において、やよい軒という店は昨日をもって消えてなくなった。
今日から死を迎える日まで、やよい軒を消失した人生をシミュレーションしてみたところ、何一つ困ることはないという結論もすぐに出たことだし、永遠にアディオス。

ふと客観視。選択肢はいくらでもある中、ひょんなことからお客は逃げていくということなんだな。
飲食に限らず、どんな業界もこんな風にシビアなものなのだろう。まったく世の中というものは油断がならない。

人はこういうのを逆ギレというのだろうか。
ああ、食事してるときにおっさんがクソする音聞かされて不愉快な気持ちを抱くことを逆ギレというのならば、別にそれで構わないさ。