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にわかが道をやってくる

競馬のこととか、競馬以外のこととか。



武田鉄矢の水戸黄門は期待して良いと思う

武田鉄矢で水戸黄門。実にテンションの上がるニュースが飛び込んできた。

この報を受け、ネット上では賛否両論というか、賛の方でもどちらかといえばネタ的な意味合いで歓迎されているような風潮が見受けられる。
否の方の意見としては、ごくシンプルに「何やっても金八先生の武田鉄矢ごときに、さきの副将軍・水戸光圀公が勤まるものか」といった論が主流の模様。

声を大にして言いたい。
オイオイ、武田鉄矢をナメるなよと。

おそらくバラエティ・CMタレントとしての彼の姿しか知らない層がほざいているのだろうが、俳優としての武田鉄矢は一流である。
幸福の黄色いハンカチを知らないのか?
101回目のプロポーズを知らないのか?
ストロベリーナイトを見て震えてみろ。

そもそも坂本金八だって、説教くさい、でも生徒思いな先生という単純な人物像では決してない。
彼の弱さ、情けなさの奥にある芯の強さ、笑顔の向こうにある悲哀、貧相な見てくれに宿った高貴な魂を、他のどの役者が表現できるというのか。
三又又三のモノマネを見て、金八ってこんな人と思っていたとしたら、とんでもない誤認識である。

武田鉄矢のバラエティなどで垣間見えるその性格の悪さ、人としての歪みはよく囁かれることだが、そんなものは役者としての評価には一切関係ない。
ルックスが良いことが前提の役どころと、好きが高じすぎてしまっている感の強い坂本龍馬以外であれば、彼は高い水準で演じきってくれる信頼を寄せるに足る俳優さんと断言できる。

 


で、水戸黄門。

小学校高学年ぐらいの頃、時代劇にハマりまくっていた時期があった。

とりわけ水戸黄門については、大岡越前と半年おきに放送しており、本放送が大岡越前の時期には必ず夕方に再放送をしていたので、まさしく国民的時代劇といえる番組だった。
こちらも御多分に洩れず、夜8時もしくは夕方4時になったらブラウン管の前に座り込み「♪じーんせーらっくあーりゃくーもあーるーさー」と高らかに唄っていたものである。

世代的には、リアルタイムでやっていたのは西村晃版なのだが、再放送でしばしばお目にかかっていた東野英治郎版の方がより好きだった。
里見浩太朗や中谷一郎がまだ若く、溌剌としていたこともあるが、何よりご老公の雰囲気が良かった。

どうも西村晃のご老公は顔立ちやら雰囲気やら上品過ぎて、平装時であってもその高貴さが滲み出てしまっているような気がした。
それに対して、東野英治郎は何者でもない老いぼれといった感じで、悪者にこのジジイがと蔑まされ、善玉の村人にもジイさんに何ができんだよと侮った態度で応接されるのが如何にもと納得できる風情だった。

だからこそ、こんなジジイが実は畏れ多くもさきの副将軍であって、控えおろうと言われてみんな平伏するというのがカタルシスとなっていたのだと思う。
まあ、一種のギャップ萌えと考えていただいて差し支えはない。

実は個人的に武田鉄矢版ご老公に期待しているのはこの要素である。
西村晃以降、水戸光圀役は個性の違いはあれど、どうしてもその高貴な感じ、ただ者ではない感が漂う造型となってしまっている。
里見浩太朗にいたっては、このジイさん顔立ち整いすぎだろ、しかも絶対強いだろと突っ込まずにはいられなかった。

武田鉄矢であれば、東野英治郎以来のショボい老いぼれご老公を演じることができる。
こんな汚いジジイが水戸光圀公という驚きとともに、畏れ入って悪者らがひれ伏す光景にカタルシスを感じることができる筈。

間違っても、新解釈の水戸黄門なんて余計な工夫をこらして、金八の上っ面を掬ったような説教くさいご老公なんてキャラづくりはやめてくださるようお願いしたい。
スタッフの方々、武田鉄矢さんご自身に届くことは絶対にないとわかっていながら。

ついでに、主題歌の「ああ人生に涙あり」は助さん格さん役が歌うことが定番になっているが、どうせ若いイケメン俳優になるんだろうから、いっそ海援隊に歌ってもらえないかなあと。
その方が絶対沁みると思う。武田鉄矢はミュージシャンとしても、まあ一流である。