にわかが道をやってくる

競馬のこととか、競馬以外のこととか。



林原めぐみが誕生日を迎え50歳になり、僕は途方に暮れる

誕生日おめでとうございます。

よりも

マジかよ、、

という気持ちがどうしても先に立ってしまう。
あのお方が50歳。ちょっとにわかには現実を飲み込めない。途方に暮れる。

まだ声豚という言葉はおそらく存在せず、萌えという言葉は草木などに対して用いられていた時代のこと。

めでたくオタクの門をくぐり、その道を邁進していた当時中学生の自分は、初めて買ったアニメ雑誌を隅々まで読み尽くし、情報ページにて声優さんによるラジオ番組というものが存在することを知った。

エヴァンゲリオン前の時期、関東圏におけるアニラジはほぼ文化放送の専売特許。
当時住んでいたところは、周辺施設のせいなのか何なのか、なぜか圏内なのに文化放送だけ受信状況がひどく悪く、チューニングしても雑音まみれで聴けたものではなかった。

何だよほとんどの番組聴けないじゃんと肩を落とした自分が、問題なくクリアに聴けたのは、数少ないTBSラジオ放送の番組「林原めぐみのTokyo Boogie Night」ぐらいだった。
とは言っても、当時この番組を放送していたのは土曜の深夜2時(記憶あいまい)。運動部で汗水流していた自分には、なかなかしんどい時間帯だった。
なお、タイマー録音機能付のラジカセなどという高級品は持っていなかった。

布団の中で、うつらうつらと前番組(コサキンだったと思う)聴いて、ようやく時間が到来。彼女の声に耳を傾ける30分。
振り返ると、実にプレミアムな時間を過ごしていたものだなと、しみじみ思う。

特に笑えたり、すごく興味深かったりする放送だったわけではない。せいぜい初めて聴いたときは「わ、女らんまの声で喋ってる、不思議な感じやなあ」といった感想を抱いたぐらいである。
が、何となく自分は毎週土曜深夜、眠い目をこすり、翌日の負担も顧みず、布団の中で彼女の声を聴けるチャンネルにラジオの周波数を合わせていた。

 


その頃、林原めぐみは既に第一人者としての地位を確固たるものにしており、國府田マリ子と人気を分け合い、新鋭の椎名へきるが台頭してきた、といった時代だった。
アルバムでいえば『SPHERE』が出た頃で、自分は彼女が天下をとってからの新参ファンだった。
あまり当時、自分が彼女のファンだったという意識もなかったのだが、毎週リアルタイムでラジオを聴き、旧作のCDアルバムを買い集め、新作は予約して購入して、映画の舞台挨拶や公録イベントがあれば極力足を運び、たまにテレビ出演があれば欠かさずチェックし、マイベストのカセットテープを作っていたぐらいなので、客観的に見てファン以外の何者でもない。

当時こんな恥ずかしい日記も書いている。 

www.bakenbaka.com

 

高校時分は、エヴァンゲリオンの社会現象もあり、各メディアへの露出も増え、CDのセールスも好調で、ハートフルステーションもTBSで放送するようになってくれたりしてと追い風ビュービュー。
こちらもタイマー録音できるCDラジカセやらビデオデッキやらを遅ればせながら調達できたので、随分とファン的な活動も快適になった。
しばしば歌番組に出たり、念願の徹子の部屋にて「みんなの大好きな綾波レイちゃん役の林原めぐみさんです!」と紹介されていたのはこの頃である。

大学に入ってほどなくして、演劇やら何やらで忙しくなり、あっけなく遠ざかってしまった。

それから幾星霜、しばしば思い出したように彼女のラジオや昔の曲を聴いてみたりすることはあるが、かつてのようにファンとしての活動を再開することはなかった。
多分、知らないうちにもう卒業していたのであろう。

そして2017年3月30日

ググるまでもなく、はっきりと記憶している彼女の誕生日は1967年のこの日。

林原めぐみ(50)

Thirtyという曲で、30歳当時の気持ちを歌詞にし、10年後の私にあんまり無理をしないでと伝えたいと歌っていた人が今やヒフティ、10年後は還暦ティとか。

おめでとうございますという気持ちがないわけでは決してないのだが、やはりそれ以上に圧倒的に。

それにしてもマジかよ、、、

そんな気持ちが胸いっぱいで。飲み込むことができなくて。

 

f:id:bakenbaka:20170330221329j:plain